
2025年6月16日、放送計測器の老舗メーカー・リーダー電子株式会社(以下リーダー電子)は、画像生成AIスタートアップAI Picasso株式会社(以下AI Picasso)を取得価額1億9,900万円で全株式取得し、完全子会社化すると発表した。
放送計測器と生成AI企業という“異色コラボ”は、動画制作を自動化するVMA事業を加速させるための戦略的一手。
老舗が若い技術集団を“距離ゼロ”で迎え入れるこのM&Aは、人的リソース不足が深刻化する映像制作現場のボトルネックを打ち破る、新規事業への挑戦でもある。
動画制作の“人手不足”というボトルネック
放送計測器で70年超の歴史を誇るリーダー電子は、VMA(Video Management Automation)事業 を“第二のエンジン”として掲げる。
近年、映像需要が爆発的に伸びる一方で制作現場は深刻な手間と人手不足にあえいでいる。
「たくさん作ろうとしても結局はいろいろな手間で時間がかかる。省力化しなければマーケットは広がらない」──長尾社長は現場の課題をこう語る。
加えて、強みとしている放送機材の市場は頭打ち傾向にある。
長尾氏は「放送業界自体は伸びにくいが、動画マーケット全体ではまだまだ大きく伸びる。新しいマーケットに向けてソフトウェアのソリューションを身に付ける必要がある」と方向転換の必然性を口にした。
ここ数年で新規事業を担うグロースビジネスカンパニーを立ち上げ、ソフトウェア事業の拡大を狙うリーダー電子。
より事業を加速させていくための一手として白羽の矢が立ったのが画像生成AIスタートアップ・AI Picassoであった。
同社の軽快な開発力とスピードは「動画制作のボトルネックを一気に突破できる」という確信をリーダー電子にもたらし、後のM&Aへとつながっていく。

双方向コミュニケーションが生んだ“初速”
きっかけは2024年秋、映像業界の課題解決策を模索していたリーダー電子は、数社のスタートアップと面談をするなかで AI Picasso に強い手応えを覚える。
「多くの企業は自社製品を売り込む姿勢だったが、AI Picassoはこちらのやりたいことに耳を傾けてくれて、双方向で議論できた」──長尾社長は最初の印象をそう語る。
一方、AI Picassoの宮内代表は、老舗企業が“新しいこと”に本気で挑もうとする姿勢に驚いたという。
「老舗メーカーは堅いイメージが強いが、リーダー電子は未踏領域を模索したいと語っていた。そのギャップが魅力だった」。
両社はまず業務委託で協業を開始。リーダー電子が抱える顧客課題に対し、AI Picassoのプロトタイプが予想以上のスピードで応えた。「これは面白い──食指が動いた瞬間だった」と宮内氏は笑う。
出会いからわずか9か月後、提携は資本参加へと加速する。スピードを生んだのは、利害調整ではなく“課題解決を共に描く”という共通言語。
互いの専門領域を尊重しつつも遠慮しない対話こそが、のちに「覚悟」を共有するM&Aの土台となった。

両社の技術が“新領域”を拓く
自社単独では届かなかった撮影現場にリーチできる──これが AI Picasso にとって今回の提携がもたらす最大の価値だ。
「そういうところにリーチするすべはなかった。だからこそ弊社として意味のある提携になっている」ーーー 三嶋CTOは、生成AIは“面白いデモ”で終わらせず、実運用まで落とし込むことが難題だったと振り返る。
「現場で使われるまで持っていくという観点で見ると、今回の提携は非常に意味がある」ーーー 一方、リーダー電子 にとっては「動画を深く理解する生成AI企業は他にいなかった」という希少性が決め手だ。
リーダー電子の顧客基盤とAI Picassoの開発力が交わることで、「他社にはない付加価値を生み出せる」 と両者は口をそろえる。
協業の具体像は、まだ対外的には多くを語れる状況にはないが着実な進展をみせているという。
宮内代表は「当社のソフトウェア知見と、リーダー電子が持つ販売ネットワークや市場浸透力を掛け合わせれば、進めていける領域は大きい」 と期待を語る。
ディスカッションでは役割分担の線引きもクリアになった。
「お互いの技術をどう融合させるか。ここは自分たちが、ここはリーダー電子さんが、と整理できたことで安心して前に進めた」
異なる専門領域の組み合わせは、ともすれば“文化摩擦”を生むが、両社は課題解決を起点にした対話で信頼を醸成。
結果として、アルゴリズムの安定性とソフトの可塑性が相互補完し合う「融合領域」が立ち上がった。そこでは映像信号を守り、ソフトがクリエイティブを拡張する――まさに両輪が噛み合う新常態が生まれようとしている。

技術ドリブンなM&A
今回のディールは、株式 15,517 株を1億9,900万円で取得し、持株比率100%に引き上げる“フルコミット”型。取得前の持分はゼロ、すなわち一気に「距離ゼロ」へ踏み込む決断だ。
リーダー電子が重視したのは売上ではなく技術。
「数字を買うのではなく技術を買う──そういうスタンスでやりますよ、とIRでも言い続けてきた」ーーーと長尾社長は強調する。
売上はわずか2年で約13倍に伸長。とはいえ絶対額はまだ小さく、買収側にとっては「損益インパクトより戦略的アセット」という位置づけであり、リーダー電子が掲げる「技術ドリブンM&A」の姿勢を裏付ける。
M&Aを公表した翌日から株価はストップ高となり、異例の急騰となった。長尾社長の覚悟は投資家からも好意的に受け止められたようだ。

カルチャーフィットという“見えない資産”
両社が口をそろえて強調したのは、財務指標よりもカルチャーを受け入れ合えるかという一点だった。
AI Picasso 宮内代表は「スタートアップにとって一番大事なのは、カルチャーや考え方を受け入れてくれる会社かどうか」と語り、売上向上だけを目的とする買収では長期的な成長は望めないと断言する。
その言葉に応えるように、リーダー電子の長尾社長は「単に資本を投じるのではなく、自分がやるつもりでスタートアップと向き合えるかが最も大事だ」と言い切る。
この“覚悟”があったからこそ、完全子会社化という踏み込み方を選択できた。
カルチャーを活かす仕組みづくりも進む。リーダー電子は社内を既存事業のバリュービジネスカンパニーと、新規事業を担うグロースビジネスカンパニーで役割分担し、「異なる顧客対応や製品開発を両立させる」体制を目指したという。
三嶋CTOは「売上や営業利益だけでなく、その会社と組むことで何ができるようになるかを示せるかが重要」と呼びかけ、買収後もメンバーが熱量を保てるビジョンの共有を求めた。
買収側の腹の括りと、売却側のカルチャー発信――双方が歩み寄り、“見えない資産”を可視化するプロセスこそが今回のM&Aを推進した原動力だ。

新事業が描く5年後
「昨日出た論文を読み解き、来週公開予定のコードまで先回りする」——AI Picasso の三嶋 CTO が語る開発サイクルは、もはや週次どころか日次でアップデートが走るスプリント体制だ。
研究成果を即座にプロダクトに落とし込み、「最先端“すれすれ”を走り続ける」ことこそ競争優位になると強調する。
リーダー電子側も、この速度に合わせて仕事のやり方変えつつある。グロース・ビジネスカンパニーではソフトウェア製品のアジャイル開発を実践し社内に新しい知見を蓄えつつある。
では、五年後に何を実現しているのか。
長尾社長は「現在共同開発中のプロジェクトをきちんと事業化し、映像制作の常識を塗り替えることが第一目標」と語り、まずは目の前のプロダクトを市場に届ける覚悟を示す。
一方、宮内代表は「キャラクター生成やアニメ分野に展開し、個社対応からビジネススケールを拡大したい」と射程を広げる。
共通項は「リスクを引き受けてでも、非連続な成長を選ぶ」という姿勢だ。三嶋 CTO は「買収側も同じリスクを背負う覚悟が必要だ」と指摘し、保守的な経営ではイノベーションは生まれないと断言する。
その覚悟があるからこそ、新領域において、“世界標準”を日本発でつくるというビジョンが現実味を帯びてくる。
リアル映像と生成画像を自在に組み合わせる次世代制作インフラが普及すれば、VTuber からスポーツ中継、医療教育まで活用シーンは無限だ。
両社は「まずは成功事例を積み重ね、映像制作のボトルネックを根本から解消する」と口をそろえる。
最先端を走り続ける機動力と現場を支える信頼性——その相乗効果が、これからの五年を加速度的に塗り替えていく。

“覚悟”を共有し合えるパートナーシップ
スタートアップに向けて、宮内社長はこう助言する。
「売上指標だけでなく、“何ができるようになるか”を描ける相手を選べ」
一方、大企業サイドの長尾社長は、買収の心構えを端的に示す。
「資本だけではなく、自分がやるつもりでスタートアップと向き合う覚悟─その腹を括れるかが問われる」
両者に共通するのは、“覚悟”を共有し合えるパートナーシップの重要性だ。
M&Aは終点ではなく、共創のスタートライン。
資本の論理だけでなく、文化・速度・ビジョンまでを包摂し、互いにリスクを背負ってこそ革新的な価値は生まれる――今回の取引が放つ最大のメッセージはそこにある。
